お茶の水ゼミナールは、少人数制の現役生専門予備校として、高校生のタイムテーブルに立った、こまかなカリキュラムづくりをしてきました。従来の予備校・塾のシステムでは、定期テスト、学校行事など、さまざまなこととの両立が不可能でした。そこで、受験勉強とこうした行事が並行しておこなえるよう、さまざまな工夫をしてきたのです。○クラス人数を三十人程度にしぼる。(質問などもしやすい)○欠席時の授業を振替られるようにする。(はずせない学校行事などで休んでも大丈夫)○同じ講座でも、自分に合った講師を選べる。(性格的な側面も重視)○ゼミ形式で生徒の質、レベルに応じた指導をする。○コースでなく、科目別に選抜制にする。
ある時、中3生に「なぜ高校へ行くのか」といったテーマで作文を書かせたが、今回も見事予想通りの結果となった。学校の成績がオール5に近い生徒、授業中活発な発言をする成績上位の生徒、彼らは文章のうまさといい内容といい、全く申し分ないものであった。一方、学校の成績がまん中ぐらいか、それ以下の生徒達の作文は、これが中学生かと思わせるほど支部滅裂で、しかも幼稚な内容のものが多かった。文章が上手で内容のある作文を上から並べていくと、学校の成績、塾でのテスト結果と、ほぼ一致するのである。学校の通知表で2や3(時には1)をもらってくる子どもの作文は、中学生でも小3生並のものがかなりある。特に、自己中心的で内容的にお粗末なものが多いのも特色といえる。このような作文を一度でも読んだ親は、どうしてうちの子はこんなふうになってしまったのだろうと、愕然とするに違いない。文章の上手下手は学校や塾の教師の責任であるが、しかしその内容の幼稚さというものは、これは指導のしようがないのだ。つまり、社会環境や家庭環境、特に親と子の接し方や育て方で、たくましい少年少女にもなり、ひ弱な少年少女にもなるということである。自己中心的な子どもは人間関係が希薄なため、自分の考えを持てないだけでなく、他人の考えも理解できないことが多い。また、自分の感情をコントロールするのが苦手であるから、友達同士だけでなく、大人(学校)との間でもトラブルが発生しやすい。
最近の子は、気もそぞろで集中できないとよくいわれます。また、スポーツをすると集中力が養えるとも指摘されます。集中力は、現代の心理学では「アテンション」すなわち「注意」の一種と考えられています。そしてこの注意によって、記憶対象の入力がよりうまくいくと考えられています。諺にも「心そこにあらざれば、聞けども聞こえず、見れども見えず」といいますが、まったくそのとおりです。気もそぞろなときに耳にしたり目にしたりしたものは、大方が記憶に残らないものです。しかし、アテンションのレベルが高ければ、しっかりと記憶されます。アテンションは、その人にとって必要性の高いものや、興味の対象であるもののほかに、印象度が強いものや事件性があったりして自分にとって強い感情体験のものでは、そのレベルが上がります。注意すべきことは、アテンションは年齢とともに衰えると考えられていることです。「ああ、年のせいか」と単純に受けとめないでください。じつは、理由は別のところにあるのです。それは、年齢とともに物事に対する感動が薄れるメカニズムがあるからだと思われます。